広島での原爆投下から78年後、病院で火傷の治療を受ける少年の写真が新たに注目を集めています。この写真は広島平和記念資料館に展示されており、当時の惨状を物語る貴重なものであります。現在、その少年が実は一人の男性の父親であることが判明しました。
2023年の夏、広島平和記念資料館に一通の電話が入りました。電話をかけたのは、原爆の影響を受けた少年の息子である原田翔吾さん(50歳)です。彼は約30年前に、写真に映る少年が自分の父親であると告げられたそうです。彼の父、原田成男さんは、当時16歳で広島にいた兵士で、原爆投下の瞬間に学校の朝礼中に被爆しました。
広島赤十字病院での治療を受けた成男さんは、顔や手足に重度の火傷を負い、長期間入院を余儀なくされました。医師や看護師たちは、限られた医療資源の中で懸命に治療にあたったといいます。成男さんはその後、戦後に結婚し、家庭を築きましたが、1999年にがんで亡くなりました。
翔吾さんは、最近、広島平和記念資料館に連絡を取り、病院で治療を受けていた少年の医師の身元が判明したというニュースを受けて行動を起こしました。その医師は、産婦人科医の永田浩一さんで、彼の娘は少年がその後どうなったのかをずっと心配していたといいます。翔吾さんは、自身の父親の話を後世に伝えるために連絡をしました。
しかし、当時の資料には、少年が成男さんであることを証明する確固たる証拠はありませんでした。そこで、東京医科歯科大学の専門家に依頼し、写真の比較検証が行われました。耳の形状を重ね合わせることで、少年と成男さんが同一人物である可能性が高いという結論に至りました。
このようにして、78年間名前が知られなかった少年が、ついに成男さんであると確認されました。このニュースは、翔吾さんにとって大きな喜びであったといいます。「父が原爆によって命を落としていたら、私は存在しなかったでしょう」と彼は語ります。
広島で、成男さんの写真が展示されている場所を訪れた翔吾さんと母親は、父の記憶を辿り、彼が経験した苦痛を思い起こしました。写真に映る医師の娘である永田陽子さんとも面会し、彼女は成男さんが無事に生き延びて家庭を持ったことを知り、感動を覚えたと語りました。
この出来事は、原爆の悲劇を忘れず、平和の大切さを再確認するきっかけとなるでしょう。広島平和記念資料館は、今後もこの写真を通じて、平和の尊さを伝え続けていくとしています。